MAG21研究会のメンバーで東京慈恵会医科大学客員教授・慈誠会病院産婦人科部長
恩田威一先生の論文『人間の始まりは脳?』が、相模原市医師会報2021年4月号の会員寄稿に掲載されたのでお知らせします。
人間の始まりは脳?
慈誠会病院 恩田威一
2013年頃、某乳製品メーカーのCMに「人間の始まりは腸」との説明が有りました。
実は人の脳は4週0日(月経開始予定日)頃に、心臓の原器が4週中頃に現れ、心臓が動き始めるのは5週0日です。頭臀長に対する頭の割合は妊娠2ヶ月で2頭身、5ヶ月で3頭身、10ヶ月で4頭身と頭の発育が他臓器に先行します。一方、大人の脳は体重の2%です。
しかしその循環血液量は体全体の15%、消費エネルギーは20%で、循環血液の割合以上にエネルギー取り込が大です。胎児の体重増加の概算は妊娠5ヶ月迄は2×月数3、それ以降は3×月数3と妊娠後半期に体重増加が著しいのに対して、子宮血流増加は妊娠早期から顕著です。循環血液量は妊娠30週頃迄急激に増加、その後徐々となります(図1)。体全体では1.4~1.5倍、子宮血流は10倍となります。板倉敦夫によれば胎盤から分泌されるアミノペプチダーゼA によりアンギオテンシンⅡがⅢに代謝。血管収縮低下、子宮血管が拡大。血管径拡大に続き血流が増加します。
血管拡張と血流増加の関係の指標に平均血圧(MAP)と脈拍があります(図2)。
妊娠15週までMAPが下降し脈拍が上昇します。その後略一定となり、31週以降はMAPが上昇し、脈拍が徐々に下降します。つまり妊娠15週までは血管が広がるスピードが速く血液増加が追いつけない状態です。血液量は増加しますが体全体としては不足状態です。このような時の激しい運動は心臓がバクバクするので控えめが良いでしょう。
妊娠中は血液量を増やすためにレニン-アンジオテンシン-アルドステロン(RAA)系が働きます。血液量増加に対して、心肥大を防止するために心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)が増加し、ナトリウム(Na)の尿排泄が起こります。つまりNaを排泄しながら血液量が増加します。浸透圧の低下が急激に起こると脳細胞の浸透圧の調整が間に合わず脳浮腫を起こす可能性があります。「悪阻で食べられない時には水だけでも飲むように」と指導を受けることがありますが、このような時に無理をして真水を飲むと脳細胞浮腫が益々酷くなる事があります。無理して真水を飲み続けていると、ごく僅かな水を口にしただけでも、料理番組を見ているだけでも、料理の本を見ているだけでも嘔吐をするようになります。パブロフの犬のような状態になります。悪阻時は基本的に低張性脱水なので塩分補充が必要です。水のみの補給は悪阻の症状が増悪します。アクエリアス、ポカリスエット、OS1等電解質を含んだ飲料水が好まれます。悪阻の酷い時には絶飲食点滴も有効な治療方です。
妊娠高血圧症防止を目的に塩分制限が推奨されてきました。妊娠前半期に循環血液量が充分に増えない場合に妊娠20週を過ぎた頃に重症妊娠高血圧症発症の危険性があります。循環血液量が適度に増加する為には適度な塩分摂取が必要です。
胎児のエネルギー源のブドウ糖を効率よく胎児に供給するために母体血中に増加するインスリン・アンタゴニストにより母体はブドウ糖利用が抑制され、不足したエネルギーを血中に増加する脂肪で補うようになります。図3のように1型糖尿病合併妊娠のインスリン投与量から、正常妊婦のインスリン必要量を推定可能です。妊娠5-10wに1%、11-14wに4%、15-18wに2%インスリン必要量が低下し、その後増加に転じます。妊娠後半期にインスリン必要量が増加します。文献上(前号参照)妊婦では糖負荷時の血糖値とインスリン値から求めた血糖面積とインスリン面積は妊娠初期から妊娠後半期に増加し、インスリン抵抗性が増しインスリン必要量が増します。一方妊娠初期の空腹時は、子宮胎盤胎児の糖利用により母体血糖値が低下します。同時にインスリン基礎分泌が低下します。この時期にはインスリン感受性が増し細胞内の糖とマグネシウムが増加します。細胞内の糖とマグネシウムの増加は熱産生に有用で、母体微熱により酸素解離曲線が右方移動して細胞増殖旺盛な胎児への酸素供給に役立ちます。
妊娠中に増加するヒト胎盤性ラクトジェン(hPL)やプロラクチン(PRL)が膵β細胞のセロトニンを増やしβ細胞の増殖インスリン分泌に役立つ事を綿田裕孝が報告しています。妊娠初期の悪阻の酷い人程副交感神経活性が優位ですが、悪阻改善に伴い交感神経活性優位となります。妊娠後半期には交感神経活性が優位となりインスリン分泌に抑制的に働き、種々のインスリン・アンタゴニストが増量しますが、正常妊婦ではセロトニンのインスリン分泌促進作用が勝り耐糖能が正常に保たれると考えられます。
胎児の脳が発生してからの約1週後に心臓が動き出します。胎児は酸素と糖とマグネシウムと種々のビタミンを用いてエネルギーを産生します。マグネシウムが解糖系の補酵素として、クエン酸回路の補酵素として必須です。ビタミンB1は解糖で発生したピルビン酸がアセチルCoAに変わる時にチアミンピロリン酸(TPP)という補酵素として役立ち、アセチルCoAはオギザロ酢酸と縮合してクエン酸回路に組み込まれます。獣医学の雑誌には効率良い繁殖のための餌のミネラルとビタミンの配合工夫が報告されています。(相模原市医師会より掲載許諾を得ています)
参考資料:
恩田威一: 人間の始まりは脳?.相模原市医師会報 58:244-246, 2021
【コメント】
恩田威一先生が『人間の始まりは脳?』について解説されているので紹介いたしました。胎児の脳が発生してからの約1週後に心臓が動き出し、胎児は酸素、糖、マグネシウムと種々のビタミンを用いてエネルギーを産生することが解説されています。
マグネシウムはカルシウムの陰に隠れて来た永い歴史があります。わが国の国民一人当たりのカルシウム摂取量は、厚生省(当時)が国民栄養の現状として戦後1946年来毎年調査報告し、厚生労働省が国民健康・栄養調査として2003年来毎年調査報告しています。一方マグネシウム摂取量は、カルシウムの調査報告より55年後の2001年から厚生省が調査報告を開始しました。カルシウムと比較し、マグネシウムはそれほど研究されていない“オーファン栄養素(Orphan nutrient)”です。この為、マグネシウムに関する国の認知が相当遅れたため国民の認知が更に遅れています。
マグネシウムは健康にとってとても重要な必須・主要ミネラルです。にも拘わらず、永年にわたりほとんどの医師がこの不可欠なミネラルの血中マグネシウムを測定することもしませんし、様々な臨床症状も見過ごして来たのが現実です。
マグネシウムの摂取不足は虚血性心疾患、高血圧・糖尿病・メタボリックシンドロ-ムなどの生活習慣病、歯周病、喘息、不安とパニック発作、うつ病、(慢性)疲労、片頭痛、骨粗鬆症、不眠症、こむら返り、便秘、PMS(月経前症候群)、胆石症、尿路結石、大腸がん、すい臓がん、動脈硬化、全身性炎症性疾患、悪阻(つわり)、そして長期記憶、アルツハイマー病など様々な疾病・病態とも密接に関連していることが基礎的・疫学的・臨床的研究でも明らかにされています。今後マグネシウム摂取の重要性がさらに認知され、正しい食育が行われる事が切に望まれます。
マグネシウムに関する様々なご質問を心からお待ちしております。